先取りしすぎた3D

2020年現在、アクションゲームなどはほとんどが3D化されています。2Dのゲームは「レトロ」と呼ばれ、一定のファン層はいるが、主流かと言われれば残念ながらそうではないのが実情です。
更にVRなどの進化により、まるで自分自身がそこにいるかのような体験まで出来るようになっています。

しかし、今から25年前はまだまだそのようなハイテク技術は一般的ではなく、テレビゲームもまだまだ2Dが主体。ようやくPSで(荒い)3D技術が使われ始めた頃でした。
そんな時、一台のゲーム機が世に生まれました。「バーチャルボーイ」です。それは「3Dによる立体映像によるゲーム」が楽しめる画期的なゲーム機だったのです。

バーチャルボーイとは?

バーチャルボーイは1995年に任天堂から発売されたゲーム機です。値段は15,000円。
発案者は横井軍平氏です。横井氏は「スーパーマリオ」の生みの親である宮本茂氏の師匠的な立場の人間で、「ゲーム&ウォッチ」「ゲームボーイ」などを開発した人物です。おそらく、横井氏がいなければ、今の任天堂は無かったと言えるほど、ゲーム業界では伝説と化している人物です。

事の発端は1992年にベンチャー企業・リフレクションテクノロジー社が任天堂にLEDディスプレイの売り込みがあった事です。それを見た当時の任天堂の社長・山内溥氏から「バーチャルリアリティをテーマにしたゲーム機」の開発を提案された横井氏が、リフレクションテクノロジー社の技術を使い、共同開発をしたのが「バーチャルボーイ」でした。

専用のディスプレイがあり、中を覗き込むような形で使用します。これは当時のテレビでは立体映像を映す事ができなかった為です。また、当時の技術力ではフルカラーは不可能、色は単色で赤~黒のみ。更に今のVRのようにディスプレイを移動させると映像もそれに対応して動くと言った事もできませんでした。
しかし、当時は画期的だった「立体映像」を実現し、その物体がまるでそこにあるかのような不思議な映像を描き出したのです。多くの業界関係者が驚きました。

「これからは3Dの立体映像の時代になるかもしれない」

そう思う人も少なくありませんでした。映画監督スティーブン・スピルバーグもその映像を見て驚いたと言われています。が、時代はまだそのタイミングではありませんでした。


同時期に発売されたプレイステーションやセガサターンらに注目を奪われ、国内での売り上げは15万台程度、全世界でも77万台しか売れませんでした(PSは1億台、サターンは1000万台)。
大型ゲーム機にも関わらず、フルカラーではなかった事、そして何より販売されたゲームソフトが(国内では)19本しかなく、一瞬だけ注目を浴びましたが、その後は話題になる事も無く、消滅する結果となりました。

なお、開発者である横井氏はバーチャルボーイ開発終了後に任天堂を退社。株式会社コトを立ち上げ、マイペースにゲームを作っていましたが、1997年に交通事故により死去しました。まだ56歳の若さでした。

今の3D

冒頭にも挙げた今の3Dや立体映像に、バーチャルボーイがどの程度影響しているか、それはハッキリとは分かりません。任天堂が再び立体映像に乗り出したのはそれから16年も経ってからとなります(ニンテンドー3DS)。
しかし、ゲームの3Dの歴史を語る時、バーチャルボーイは決して外す事のできないゲーム機であったのもまだ事実です。今の技術者の中には、当時バーチャルボーイに触れた人もいるかもしれません。

一番最初のパイオニアよりも、それを真似た2番手が最も儲ける事ができる、と誰かが言っていましたが、バーチャルボーイはまさにそのパイオニアだったのではないかと思うのです。

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